好きを貫き通したい私 vs 就活

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つい何時間か前に、オーストラリアのシドニーについたよ!チェックインまで時間があるから暇つぶしがてらちょっくらブログを書いてみる。

 

1年間のフランス留学から帰ってきて、2週間日本に帰った時、2週間じゃありえないレベルで会いたい人たちにたくさん会えた。家族、友達、先輩、先生…。おかえりって言ってくれて、つい最近まであってたよね?ってくらい自然に、前みたく話して、笑って、バカな事をした。「もー少し日本で遊びたい!」って思ったのが正直なところ。でも今オーストラリア。しかも10月帰ったら1ヶ月しないくらいにフランスにまた1年間行く事を決めました。

 

なんでまたフランス!?って思われてるかもしれない。また急な!!って。でも本当に急だった。オーストラリアに行く2日前に、もう一年休学してフランスでワーホリ行く事を決めたから。出発直前まで慌てて全部の手続きを終わらせた。でもこの結論に至るまで、たくさん悩んだし、マジで泣いた。それは簡単に言うとタイトル通り「好きを貫き通したい私 vs 就活」について。

 

まぁ結論はお分かりの通り「好きを貫き通す」事を選んだわけだけど、その間にいろんな人から就活についての考え方や言葉、アドバイスをもらったから、それを今日は書いていきたい。

 

私が日本に帰ってきた時、私の友達はほぼみんな就活を終えていた。私はと言うと、人生好きなことしなきゃね!っていうフランスでの考え方に拍車がかかってたところ。だからショックが大きかった。なんというか、みんながとても現実的に考えられるようになっていて、月収、福利厚生、子育てにかかるお金とかをよく知ってたから。そして、入る会社も決めていたから。教師を目指してたり、国をつなぐ事を目指してたりしてた人たちが、最初聞いただけだと違う方向に進んだという印象を受けた。だからショックだった。後々1人で考えれば、それぞれが優先することが変わっただけなのが分かった。例えば将来の家族、今の彼氏、今の家族のため…。今はすごく納得する。

 

でも、もちろん夢を変えずに貫き通してる人たちにも会った。プロを目指す先輩、教師になる先輩、カフェを開くのを諦めていない先輩、休学して経験を積んでる友達。

 

そして自分の番だ。日本に帰っての2週間、ショックが大きすぎて、悩みすぎて、寝れなくなったりした。休学するかしないか、就活するかしないか、でも就職しないとお金やばいとか、札幌に早く帰ってきて欲しいと言ってるおじいちゃんおばあちゃんとか、、、一回普通に就活しようと思った。そして"いつか"フランスにまた行って、"いつか"日本語教えてみたいな、そんな機会もあるだろう。そして、"いつか"ワーホリでフランス行くんだ!って思った。

 

でもそうなると、入った会社は長くても5年くらいでやめなきゃいけない。せっかく身につけたホヤホヤでまだもろいフランス語は消える。一緒にいたい人はもうフランスにいるかわからない。。私はまだ、フランス語も英語も日本語を教える力も十分じゃない。このまま就活して、いつかは言語を教えるカフェをしたいけど、そのための資金を、今の私の力で入れる会社で貯める。。それってどうなんだって思った。この2週間、私の心はコロコロいろんな方へ転がった。

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そしていろんな人に相談した。その時周りがかけてくれた言葉が私に「好きを貫き通す」決意をさせてくれた。いくつか紹介したい。

 

「仕事の見つけ方は、その仕事を本当にしたいかどうかだよ。お金は後から付いてくる」

 

「他の人と違くなりたいなら、他の人と同じ就活の方法じゃだめだよ」

 

「私は家族のために私の人生を捧げたからね。後悔はしてないけど。そんな時代だったしね。でも自分の人生だなんて思ったことないな。来世は自分が好きなように生きたいな」

 

「好きな人と一緒に夢を叶えるために頑張れるなら、途中にパスタを1ヶ月食べて、外食もいけない期間があったとしても問題ないね」

 

「僕の行く道は、福利厚生なんてゼロだからね。でもやりたいから」

 

「ワーホリで遊んでる人たちを僕はたくさんみた。現地の人と勝負するなら現地の大学で勉強して卒業しないと、結局はいい仕事に就けないと思うからもったいないと思う。でも決意が固いならそれは本人が決めることだからね。できる限りサポートするよ」

 

「わたしもカフェを開くのが夢なんです。」

 

「君は他の人とは違う。なんでかわかる?だって君は、ゆかりだから」

 

わたしのコロコロ転がる心を私にとっていい方へ転がしてくれたのは明らかに周りの人のアドバイス。そして私が今本当にしたいことはなんだろうって考えた。考えて考えて…したら気付いたら大泣きしてた。1番の根本的なことに気づいちゃったから。私は泣くほどフランスが好き。フランスで一度も働けない人生はやだ。フランス語から離れる人生はやだ。大切なフランス人の人たちを手放すことは絶対に無理。そんぐらいフランスが好き。そしてカフェも開きたいし、その前の仕事だってほんの少しでもフランス語か、外国人と関わる仕事じゃないとすぐやめてしまう。私はこれらを手放すと目がキラキラしない。なんでもない人になっちゃう。それは家族も大切なひとも、きっと友達も、そして私自身も望んでない。

 

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そんなこんなで、オーストラリアのベットでこんなことを書いてる今の私に繋がってます。就活でどこまで自分を諦めないでいられるかまだわからないけど、少なくとも日本語の教育資格を取り、フランスでフランス語をあげながら日本語を教える経験を積みます。私が今やりたい、できる、思いつく最大の武器を揃えてから、改めて就活に挑もうと思います。そしていつかは自分で生徒を集めて語学とか文化を教える。まぁこれで就活だめならもう、アルバイト掛け持ちでもして、場所とか自分で借りて、言語をちょびちょび教えることから始めるしかないかな。そうしたら貧乏にはなるが、、まぁそれはまたその時の私が考えるでしょう。夢を諦めないでいてくれますように、未来のゆかり。

 

 

フランス流の生き方


フランス流の生き方
〜自分の人生は自分の自由〜

 『こんなに人生が自由で楽しいものだなんて知らなかった。』私が1年間のフランス留学を終えて一番に思ったことはこれ。この私がこんなにも幸せに、楽しく毎日を過ごせるようになるなんて思わなかった。中学生の時、毎日朝なんて来てほしくない、学校も行きたくない、楽しいことなんてそんなにない、そんな風に人生を感じていたこともあったほど、ある意味普通に生きてきた私。高校、大学と通って素敵な友達や先生方に恵まれ、たしかに前よりもずっと楽しみを見つけた私だったけれど、フランスに来てからの生活はそれをはるかに超える幸せな時間を過ごせた。それはフランスで出会った人たちのおかげだ。フランス人の大切な友達や恋人と1年間に渡ってとてもたくさんのことを話した。そして今までにない人生の見方、生き方を教わった。そしてフランス流の人間関係の築き方を知った。1年前に比べて今は人間関係や人生についてとてもシンプルに考えられるようになった。それを是非紹介したいと思う。少しでもフランス流の生き方に興味を持ってくれれば嬉しい。

1、c’est ta vie
これはフランス人がよく口にする言葉。「これはあなたの人生よ。」という意味。この1年間で何度聞いたことだろう。すべての考えの根本がこれだ。例えば私の日本人の友達が、これからの研究テーマについて先生に相談したことがあった。メールで長文を打ってどうすればいいか聞いたらしい。さぁ、何て返ってきたか。たった二行。「これはあなたの人生よ。あなたの好きにしなさい。」この話を聞いたとき私はあっけにとられた。「返信雑!」とも思ったけれど、「あ、フランスらしい。」とも思った。どんなことも他の人に決められることはない。あなたの人生だから好きなようにすればいい。これは一見自由で易しいように見えるけど、日本人にとっては何より難しいことじゃないかな。だってなんでも「こうするといいよ」ってアドバイスされる日本と違って、フランスは好きにしろって返ってくるんだ。小さいときからそうやって育てられてきたフランス人はどうやって自分の人生を選んできているんだろう。これからそれを少しずつ紹介していきたいと思う。

2、liberté, égalité, fraternité
 これはフランスの標語。みんなも聞いたことがあるかもしれない。フランスで最も大切にされていること。自由、平等、友愛。これが大切ということはフランス人に染み付いている。だから「自分の人生は自分の自由」だとみんなが思っている。それに平等という面で、「他人の人生は他人のもの、他人の好きにしていい」とも思ってる。これはどんな関係にでも当てはめられていて、家族でも、「親だからって自分の生き方に口出しする権利はない」と考えてる。先生と生徒もそう。「先生だからって自分の考え方に口出す権利はない」と思っている。だからよく言えば「自立している」、悪く言えば「自分勝手」な人たちが多い。そんなフランス人を子供っぽいと言う日本人もいる。でもフランスでは「子供っぽい」の基準が違うんだ。フランス人の思う「子供っぽい」は「自分の意見がなくて、自立していなくて、自分の問題を自分で解決出来ない人」のことを言う。だから人の言うことを聞かなかったってそれは「子供っぽい」じゃない。根本的に感覚が違うんだ。日本の定規で測っても意味がない。

3、comme tu veux
 これは「好きなように」という意味。「何すればいいかな」「どれを選べばいいかな」そんなことを聞いても多分返ってくるのはこの言葉だ。さっきも言ったように「相手の人生は相手のものだから、相手の好きなようにするべき」と思っているからだ。だから相手の行動を決定することも禁止することもほとんどない。恋人にだって口出ししない。「〇〇に会わないで」とか「それはしないで」とか、「これをして」なんて頼まない。そんな権利がないことをわかっているから。だって相手には相手の人生がある。好きな人ならなおさらその人がしたいように人生を生きるべきだと考えている。それは本当に小さいところにまで染み渡っている。例えばピアスを開けるだとか、運動を始めるだとか、いつ誰に会うだとか。どんなに小さいことだって強制することはない。たまに家族だから、恋人だから、長い付き合いだから、なんて理由で相手に口出しして言うことを聞かせる権利があると勘違いする人がいる。そんな権利は誰にもないよ。恋人がどんな服を着て、誰と会ったって、それを禁止する権利はない。あなたの恋人はあなたが今大切にしようとしている、一人の人間だ。それを忘れてはいけない。そんな風に考えている。でもじゃあどうしても相手がすることが嫌な時もあるよね。そんな時フランス人はどうするか。それも紹介しようと思う。

4、discuter
これはフランス人が何か問題があった時に必ずと言っていいほどすること。話し合いとか対話と言えばいいのかな。フランス人だってもちろん相手のすることが気に入らないことはある。隠し事をしたとか、嫌な言葉を言われたとか、嫌なことをされたとか。そんな時フランス人は堂々と本人と話し合う。「これ嫌だったんだけど、なんでそんなことするんだ」ってね。そして嫌だった理由もいう。そしてこれからも関係を続けていきたいなら、同じことはしないでほしいとかこれは気をつけてほしいとか言う。でもここで誤解してほしくないのは、これはあくまでも自分の意見と要望を伝えてるだけってこと。これを相手が守ろうが守らなかろうがそれは相手の自由だと考えている。強制じゃないんだ。これが強制との違い。

5、quitter
 これは「関係を切る」という意味。恋人なら「別れる」という意味だね。フランス人は「冷たい」イメージがあるのはこんなところから来ているのかなと思ったりもするのだけど、フランス人はdiscuterをして、それでも相手がその行動に注意もせず、また同じことを続ける場合、その人間関係を容赦なく切る。これでわかるだろうか。フランス人がdiscuterを真面目に提案してきた時はある意味恐ろしいんだ。ガチだということだからね。もちろんみんなdiscuterをしたからって相手がすぐ変わると思ってない。ただ「気をつけてほしい」というだけだ。だって人間そんなすぐ変われるわけがないことは分かっているから。だから気をつけていたのにまた同じことをしちゃった、というだけならその人間関係をすぐに切るとはならない。ただ、discuterで忠告したが、それでも直す気が全くないと判断した瞬間、切る。連絡先も消すし、会ったとしても話しもしない。同じクラスだったり、同じグループだったとしても関係ない。何故ならフランス人にとって自分の人生は何より大切なものだから。その人生に「害をなす」と判断したものは徹底的に排除する。周りの人の反応なんて気にしない。そして周りの人も別に誰が誰と仲よくても悪くても干渉しない。周りも人も「彼らの人生は彼らのもの。彼らが好きなようにするべきだ。」と思っているから、ある意味無関心だ。仲が悪いのを残念だと思う人はいるかもしれないが、口出しはしない。さぁこれを子供っぽいと捉えるかな。それは人それぞれだけれど、私はこれが自然な姿だと思う。大人になったから嫌いな人とも上辺だけでも仲良くするべき。それが礼儀で大人だ。そんな感じがある日本と違って、それを「大人」とは捉えないフランスでは、別にそれが子供っぽいだなんて思わない。大人だって嫌いな人がいるのは当たり前。もう大人なんだから誰と仲良くなるか、どんな態度をとるかなんて、もうその人自身が決めてしたいようにしていいと考えている。ここでもわかるように、根本的に日本と定規が違うんだ。フランスが正しいなんて言う気はない。でもこんな測り方があるという紹介はさせてほしい。

6、aimer
 今まで書いたのだけを読むとなんてフランス人は心が狭いんだって思うかもしれない。でも違うんだ。心の広さは人一倍広い。なぜかというと、フランス人にとって友達または恋人を好きになる、愛するっていうことが、とっても広くて深い意味を持っているからだ。aimerは日本語で愛するとか好きっていう意味。Je t’aimeは普通恋人や家族に、je t’aime bienは友達に使える。同じ動詞だ。愛するということはもちろん個人でその捉え方は変わるだろうけど、基本的にフランス人の中で共通している捉え方は、「相手をありのまま丸ごと受けとめるのが愛だ」っていう感じ。フランス人は相手を変えようとは思わないし、自分が何を言っても相手が変わることはないとわかっている。だから相手は何も変わらない前提で、それでも一緒にいたい人と人間関係を築く。だから例えば、馬鹿で、怠け者で、自分勝手だとしても、その人と友達になって関係を築いていくなら、そういうところも含めて友達になろうとする。これは日本人も同じだと思う。ただすごいなと思うのは、フランス人は自分の好きという感情に自信を持っていること。どれだけ多くの人が自分の好きな人を嫌いだとしても気にもしない。その人のことをいくら悪く言う人がいても、それだって気にしない。何故なら好きなものや人はみんな違うと考えているからだ。「あぁ、君たちはこの人が嫌いなんだね。理由もわかったよ。でも関係ない。僕はこの人が好きだから。」という態度。それにもちろん周りだって誰が誰を好きでも嫌いでも関係ないと思っているから、それに対しても口出ししない。それは人だけじゃなくてものに対してもそうだ。だから「オタク」も「LGBT」の人たちも、「へぇ、君たちはそれが好きなんだ。まぁ僕には関係ないけどね。」という構え。ある意味冷たいし無関心とも言えるけど、「オタクか、キモ」みたいな、何かを好きな人をそれを理由で悪口を言う人がいないのは素晴らしいことだと思う。だからこそ、フランスは自分らしくみんなが好きなように、好きな人たちと生きていけて、みんな個性的なのだと思う。ちなみにフランスで愛を見つけるには(モテるには)個性的であることが大切って考えられている。だからみんな、私は他の人とは違うわって感じを怖がらずに出している。その強さは日本人の私にとっては勇ましく眩しく映る。

7、Je m'en fous
これは簡単に言うと「どうでもいい」という意味。これはフランス人が本当によく使う。前にも書いたようにフランス人は他人に対して結構無関心だ。それに加えて他人の意見はあまり大事にしない。というか自分の意見が何より大事だ。だから「この人と関わらないほうがいいよ、みんなに嫌われているから。」そんな言葉に対しても「どうでもいい。私はその人に興味があるし気に入ってるんだ。」と返す時とかに使う。大切なものやことと、そうでないものがはっきりしている。自分の興味のあるもの、好きなもの、大切なものは大切にする。誰が何を言おうが関係ない。基本のスタンスがこれだ。

8、amitié
これは友情という意味。フランスは友達を非常に大切にする。標語に友愛ともあるしね。フランスの友情は家族みたいだ。フランスは日本よりはるかに多くみんなで集まってパーティーをすることが多い。週に3回とか普通だし、毎日だった時さえある。料理をよく一緒にして食べたりもする。毎日一緒に過ごすようなものだから家族のようになるのも頷ける。さらにそれぞれが自分をほとんど隠さず素顔で関わっている。お互いのキャラクターをよくわかった上での付き合いだ。上辺だけの付き合いはほとんど存在しない。嫌だと思ったら前も言ったように話し合いをしたり、関係を切ったりする。何も言われないということはちゃんと友達として付き合う気があるということなので安心していい。それに日本のような「無視をする」という方法はフランスでは通用しない。「何かあるならちゃんと理由も添えて言え」と言われるし、それでも無視をしたら完全に関係を切られる。だからその方法は効果がない。わかるでしょ?はわからない。話し合いが友情においても何より大切だ。
 友達に何か辛いことがあった時、そばにいたり、みんなで気晴らしで遊びに行くのが普通だ。もちろん1日だけとかではない。元気になるまでずっとそばにいてくれる。それが1ヶ月だってその間ほぼ毎日と言っていいほどそばにいてくれる。外に連れ出してくれる。多すぎると思うだろうか。けど実際それで私は本当に助かった。料理までしてくれることもあった。そして3人とかでいて、私だけ元気が無くても、元気がない理由を知っている友達二人は気にせず話したり遊んだりしてくれる。あまり日本ではみんなでいる時に元気がないままずっと過ごしているのは良くないことのように思われがちだと思う。特に1ヶ月とかそんな調子だと特に。でもフランス人の友達はそれに対してもいい意味でどうでもいいと考える。元気がないなら元気がなくてもいい。元気になるまでそのままでいるといいというスタンス。そのままでもそばにいて遊んでくれる。これは正直驚いた。こんな感じだからこそ毎日パーティーだったり一緒に食べたりもできるんだろうと思う。だからパーティーにいつも来るけど全然っていうほど話さない人も家族みたいに馴染んでしまう。パーティーを楽しむというのは、みんながみんなのしたいようにその時間を一緒に過ごすのが目的だから、話さなきゃ、笑わなきゃ、元気じゃなきゃいけないなんてこともない。その時のその人をそのまま受け入れるのが当たり前なんだ。そんな人たちに囲まれると本当に家族といる時のような気持ちになる。日本でもこんな友情は築けると思うし、経験した人もいるかもしれないけど、私にとってはこのフランス人の友情の暖かさが身にしみるようなものだった。

9、amour
これは愛という意味。フランスは本当に愛に寛容な国だ。誰が誰を愛してもいい。同性だって結婚できる。病気の人とのカップルも堂々と電車とかでキスをしている。養子をとるのに偏見も全くない。何度も言うように、フランスは誰が誰を愛しても関係ないから非難もしないんだ。そしてイチャイチャしているカップルを見てどう思うかというと、基本かわいいと捉える。友達ならなおさらだ。だからパーティーでもカップルはイチャイチャしてる。キスもハグもする。礼儀知らずだと思うかな。でもフランスだと人前でイチャイチャしないのを礼儀だとは捉えないし、それが正しいとも思っていない。したいようにすればいいと思っている。親も毎日子供の前でキスをする。フランスでは恋人はキスしたりハグしたくなるのは自然なことだと考えてる。そして仲の良い証拠だとも思ってるから、「家でやれよそんなこと」みたいな風に捉える人なんていない。自分に恋人がいなくても、自分と他人を比べる習慣のないフランス人にとっては、友達がイチャイチャしていようと嫌な気持ちにはならない。むしろ友達が恋人と仲がいいのを見るのは嬉しいことだ。だからパーティーでも好きな人と好きなようにしていられる。だから恋人同士はよく一緒に友達とも遊ぶし、パーティーも行く。そしてその場でもカップルは普段通りに過ごせる。友達に気を使う必要はない。だって友達もカップルがキスをしようとハグをしようと、それが自然なことだと思っているから気にもしなから。
 恋人同士は基本あだ名で呼んでいる。mon chéri (私の大切な人)とか、mon amour(私の愛)とか。これのいいところは呼ばれるたびに嬉しいことと、呼ぶたびに改めて相手が大切だということを少し意識することかなと思う。あとはもちろん付き合い方は本当にたくさんあるから何も言えないが、基本的に共通しているのは、付き合うと比較的すぐ同棲すること。一緒に暮らしていけるかどうかは付き合っていく中でとっても大切だ。さらに家族にもすぐ紹介する。本気でつきあっているなら大体2、3ヶ月の間に家族に紹介するのが普通だ。あとはどんな付き合い方をしていても、友達は口を出さない。カップルの自由だと考えているからだ。ただ何か問題が起こりそうな時はよく見ている。相談されたらアドバイスはする。問題がおきればいくらでもそばにいる。根本的にフランス人は、自分の問題は自分で解決するのが大人だと思っている。だから友達のことも大人だと思って接するので、相手が助けを求めないなら干渉しない。逆に助けようとしすぎると、相手を子供扱いしていると勘違いされて逆に嫌な思いをさせることがある。ここは日本人と違う感覚だと思う。
 愛している人とどんな付き合い方をするのも自由だ。それはカップルの二人が決めること。しかしカップルの中でも相手を変えようとか、相手に何かを強制する権利がないのは理解しているだろう。そしてもしもうまくいかなかった場合は別れる。お互いのキャラを出し合い、考えを共有し合った結果、この人とは生きていけないと思ったということだ。それはどちらも悪くなくてただ合わなかったと考える。だから自分がこうすればよかったとか、何かが悪かったと考えるよりは、とても残念だけれど考えが合わなかったと考えるし友達もそう励ますことが多い。上手くいく人とは上手くいくし、いかない人とは上手くいかない。それをちゃんと理解しているような感じがする。

10、Je sais ce que je veux faire
何をしたいかは私が知っている。という意味。フランス人は自分が何が好きで人生で何をしたいかを自分でよくわかっている。変わることももちろんあるだろうが、今この時点でやりたい事はよくわかっている。自分の興味、好きな事をもとに大学も選ぶし勉強もする。小さいときから好きなように生きなさい、好きなように選びなさい、好きなようにしなさいと言われているから、自分で何をしたいかは自分で見つけられるようになる。そして他人の意見はどうでもいいという感じで、自分が好きなら迷わずそれをする。それが人生を大切に自分らしく生きることになることを知っているからだ。
 ある意味残酷で冷たい、だけど愛情深く自分の欲求にまっすぐに生きていく、そんな人たちにフランスで出会った。根本的な考え方を全く違う方向から見せられた10ヶ月。ここで紹介したフランス人の生き方、考え方を面白いと思ってくれたら嬉しい。

 これはあなたの人生だ。誰に何を言われても、あなたはあなたの人生をあなたが好きなように生きる権利がある。大切な人生を大切に生きていけますように。